チャリギョ!

「チャリンコ」行政書士の事件簿

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要介護認定廃止を阻止せよ?

2010.07.28 (Wed)


最近はもう忙しくって、ブログ書くのは完全に気分転換ですね。更新が止まる時は、仕事が順調で忙しい証拠だという土井さんの主張が分かるような気がします。あたまがパンクしそう。

そんな中でも連載「時速30kmの福祉」は、福祉に携わる者として大切なことを気付かせてくれる、僕の栄養ドリンクのようなものです。最新記事を拝読したのですが、先の要介護認定廃止阻止の動きに対する明快な批判がなされていましたので、全文を引用します。

…でないと、下の方に埋もれて探すの大変なんだもの(涙)。


(以下、引用)

富山総合福祉研究所:時速30kmの福祉(第92回)より

 7月18日に、「介護の社会化を進める1万人市民委員会2010」という団体が、東京都内でシンポジウムを開催したとの報道がありました。

 当初は、市民の自発的な政策決定への参加の動きなのだろうと受け止めていたのですが、その内容を見ると、どうも「要介護認定廃止を阻止せよ」というスローガンを掲げており、タイミング的にも唐突というか、いかにも政府にとって都合の悪い主張を打ち消すための「当て馬」として仕立て上げられた「市民運動」の観を個人的には持ちました。

 比喩的に言えば、改革の志士の「龍馬伝」だと宣伝されていたので期待して見たら、実際は龍馬をダシにした「岩崎弥太郎伝」(岩崎弥太郎は三菱財閥の創業者)だと分かって幻滅したという具合です。

 同委員会では、「日本の介護保険の要介護認定は科学的、中立的であり、世界的にも定評がある」と主張しているようです。また、「要介護認定廃止を主張しているのは、廃止によって営利をむさぼろうとしている介護保険事業者だ」と非難し、その根拠として、「認定は保険が成り立つ大前提であり、認定がなければ保険は成立しない」ことや、「ケアマネジャーが公正中立ではない」ことなどを挙げているようです。

 いちいち批判的な検討をする価値もない主張かもしれませんが、放っておいたら、これが本当のことだと誤解する人が出てこないとも限らないので、いちおう批判を試みます。

 まず、世界的にも定評があるという主張ですが、具体的にいつ、誰が、どのようなことに対して、どのような根拠で、どのような評価を下したのか、論者には説明する義務があると思いますが、当方は未だかつてその説明を聞いたことがありません。現場の実態を知るものとしては、このような杜撰な認定システムに高い評価を与えたとする人物に是非とも会ってみたいものです。ただ、「定評がある」とだけ述べて、それが正しいかどうかを検証するための材料を提示しない態度は、科学とは正反対であり、誠実さに欠けます。

 次に、「認定は保険が成り立つ大前提である」という主張についてですが、一般論としては、確かに当たっている部分があります。つまり、保険が成立するための条件として(1)要保障事故が特定されること、(2)当該要保障事故が発生したときにどのような種類の給付を行うかが特定されること、(3)それぞれの種類ごとにどのくらいの量の給付を行うかが特定されること、(4)その給付をどのくらいの期間継続して行うかが特定されること、の4つの条件を満たすことが必要であり、これらを「認定」と呼べば呼べます。

 しかし、これはあくまで一般論であり、「だから」現行の要介護認定システムがなければ保険が成立しない、ということにはなりません。

 まず、(1)についてですが、現行の介護保険法上の要保障事故は、65歳以上の場合は介護を要する状態であること、40歳から64歳までの場合は加齢に伴う疾病が原因で介護を要する状態であることとされています。これ自体は、現行の要介護認定システムとは直結しておらず、廃止後もそのまま適用することができます(もちろん、廃止すると否とを問わず、要保障事故の範囲を変更することも可能です)。

 次に、(2)については、現行の要介護認定システム上は、審査会意見という形で限定的に種類の特定ができることとされていますが、実際には審査会意見が付されることはほとんどありません。それは、審査会委員の怠慢でそうなっているわけではなく、一期一会の関係である審査会委員が、書面情報だけを根拠として不用意に意見を付せば、それがネックとなってケアプランが最大の効果を上げられなくなる恐れがあるということを、審査会委員自身がよく理解しているからです。つまり、現行の要介護認定は、給付の種類を特定する機能をほとんど果たしていないと言えます。

 (3)の給付量の特定については、認定によって限度単位数が決まるものの、実際の支給量は限度単位数とは全く無関係に特定される実態があります。限度単位数は、必要な介護を受けられなくする機能を果たすことはあっても、給付量を特定する機能を果たしてはいません。

 (4)の支給期間については、現行の要介護認定システムでは、長短の認定有効期間を決定してはいます。しかし、その妥当性には問題があり、実際には無駄な更新に時間と費用を要したり、逆にケアプランの途中変更が必要となっても認定の有効期間が連動して変更されないため、ケアプランの期間設定が不自然になったり、無駄な区分変更で無用に短期間の認定有効期間が設定されるなどの不合理が生じます。

 これらのことから、現行の要介護認定システムは、そもそも「保険が成り立つ大前提としての認定」機能を、介護保険法が始まってから今日までの間ほとんど果たしてこなかったことが分かります。

 「保険が成り立つ大前提としての認定」が存在しないのに10年も続いた介護保険は、よほどタフな保険なのでしょうか? いえ、そうではありません。介護保険がふらふらになりながらも今日まで続いてきたのは、実質的な「認定」機能を現場の介護支援専門員が担ってきたからです。

 公益社団法人認知症の人と家族の会などが主張する要介護認定廃止論は、廃止した後の仕組みまで提案しています。その内容は、かかりつけ医と保険者担当者も参加するサービス担当者会議の場で、(1)~(4)の特定を行うというものです。これは、まともなケアマネジャーならすでに実践していることであり、邪魔な要介護認定が無くなって、かえって好都合なぐらいです。

 最後に、「ケアマネジャーが公正中立ではない」という点ですが、これは、現行の要介護認定システム下でそうなっていることを、図らずも論者自身が肯定する結果となっています。ケアマネジャーは、要介護認定システムが残ろうが廃止されようが、そんな事とは無関係に公正中立でなければならないはずです。もしケアマネジャーが公正中立ではない社会実態があるのであれば、そちらを正さなければならないはずなのに、「どうすれば公正中立を実現できるのか」についてなにも道筋を示さず、「公正中立ではないから廃止すべきではない」と廃止論批判の根拠とするのは本末転倒と言わざるを得ません。

※蛇足ですが、当方は、ケアマネジメントの公正中立を実現するための道筋として、第三者機関主義の段階的法義務化を介護保険法施行当初から主張しています。

(以上)

う~ん。さすが塚本さん。気持ちいい。

介護保険10年を迎え、今あらためて考え直さなければならないのが、この要介護認定の仕組みと、ケアマネジメントの公正中立性の実現です。僕らは、介護保険制度上のケアマネジメントが公正中立を保つ仕組みとなっていないと考えているので、要介護認定の仕組みを見直すことと公正中立性の実現は必然的にセットとなります。

認定を希望する者は要介護認定を申請しなきゃならんと法令に明記されているから、要介護認定自体を見直すなら当然法改正の必要も出てきますよね。でも、コンピュータで一次判定をしなければならないって介護保険法のどこに書いてあるんです?莫大な費用を投入している無駄は以前から指摘していますけど、こういう利権が絡んでいることも忘れてはなりません。オーストラリアのACATなんか参考になるんじゃないですか?要介護認定もコンピュータ判定も、ましてや巨額の公費も必要ないでしょ。

立場やしがらみを越えて、無駄なことより必要なことを国民目線で積み上げないと。そうすれば必ず、ケアマネジメントの公正中立性という課題にぶつかりますから。


【ということで】

…さて。改製原戸籍が届いたから解読だ。明治より前になるともうサッパリだよな。何て読むんだ?この名前(涙)。

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こんなのがいてもいいよな。

2010.05.30 (Sun)


リニューアルしてもうすぐ一周年。新たな仕事や沢山の人たちとの出会いに恵まれ、本当に刺激的な一年でした。一方で、自分が大切にしてきたこととのギャップに悩み続けた一年でもありました。

ケアマネジャーとして働いてきた間、アレコレ考え仕組みのおかしさに気付き、仲間と共に活動してきたのですが、新たに広げた仕事が忙しくなるに連れて、ケアマネジャーとしての自分に違和感を持つようになったのです。これって僕が一番疑問に思っていたことじゃないだろうか…。そんな気持ちだから、ケアマネジャーの仕事についても第三者機関主義についても、最近は何も書けなくなってしまいました。

ケアマネジャーが独立すること。昔は理想のケアマネジメントを追い求めて、自分のやりたい仕事を目指して…、という人が多かったように思うけど、最近はどうかな。あくまで僕が感じていることだけど、そういう理念がなく独立すること自体が目的になっていて、ケアマネジャー業は収入確保の一環でしかないという感じの人が増えてる気がします。だから、簡単に辞めてしまう。

それって市民にとってどうなんだろう。

僕は行政書士でもあり社会福祉士でもありますが、士業はどんどん独立したら良いと思っています。自らの専門的知識と技術で正当に対価を得る。顧客が付くのも離れるのも自分次第ですから、本当にシビアな世界、まさに命がけです。しかし、弁護士や行政書士などの士業が独立することと、ケアマネジャーが独立することは、決定的に違うことがあります。

それは、ケアマネジャーの報酬全額が、国民が支払った税金と保険料で賄われているということです。併設他事業からの収入を見越して報酬額は低く設定されているので、単体で事業として成り立つことは想定していません。現在の制度の大きな欠陥と言えますし、僕らはこの点について声を挙げてきました。しかし、いくら報酬が低くても、それだけ公共性の高い役割を担っていることには違いないのです。

ですから、独立したから何でもアリではありません。忙しい!という独立型のケアマネジャーに理由を聞くと、けっこう多いのが「公表制度の調査員で…」という返事。バイトだったりネットワークビジネスだったり、独立型も様々だよな。いずれ市民の利益になるであろう自己研鑽や社会活動ならまだしも、こんなことまでして収入を確保せざるを得ないという悲しい現状があります。

いくら制度の問題だとはいえ、他に収入基盤を持つことが必要だとはいえ、介護保険を利用する側の市民はそれを望んでいるのだろうか。

ケアマネジャーとして今の自分を振り返ると、そんな気持ちになっちゃうんですね。勿論、現在担当している方にしわ寄せがいかないように、新規契約を抑えることでバランスを取ろうとしたけど、法務分野で勉強や調査をしなきゃならないことが多くて、時に頭がフリーズすることも。試験勉強と違って現実の案件を目の前にする訳だから、生半可な対応はできないし、当然ながら精神的にもキツくなります。ケアマネジャーとしての信念があったからこそ、これじゃ失格だよな…という気持ちになるのかも知れません。

そんなこんなでここ数カ月、これからのことをいろいろ考えていました。僕の悶々とした悩みを否定も肯定もせず、じっと黙って聞いてくれた塚本さんと本宮さんには心から感謝しています。カナリ時間かかったけど、最近はやっと、こう思えるようになってきました。

…こんなのがいてもいいよな。

ドツボにハマるから、ケアマネジャーとしてどうかとか、あまり考えないようにしました。僕には大切な仲間がいます。ケアマネジャーという仕事を通じて抱いた思いは、共に考え共に発信すればいい。今まで以上に寄りかかることが多いと思うけど、自分のこだわりのためにいつまでも葛藤を抱えるより、それもアリで気持ちを切り替えた方が、自分自身のためにも良いかなと思って。

大事なのは、自分が何をやりたいかってことです。僕が出来ることで、僕を頼ってくれる人の思いや願いが叶えられるなら、それが士業としてだろうが、ケアマネジャーとしてだろうが、どっちでもいいじゃん。市民が望む暮らしを続けられる社会を目指して頑張ってきたのだから、僕だからこそ出来る行動を身近なところから起こせばいい。自分の中に垣根を作って硬い頭にするのではなく、もっと柔軟でもっと気楽に、そして真摯に取り組んでいきます。

二年目はポジティブにいくぞっ!応援ヨロシクお願いします。

出来ることを奪う介護保険。

2010.01.10 (Sun)


旧ブログ(2008.1.19)からの引用です。

(以下、転載)

さて、今日は先日貰った「嬉しい電話」を紹介します。

平成16年の秋、諸事情によりケアマネジャーを交替することとなり、朝霞で仕事を始めてまだ間もない僕が引き継ぐことになったAさん(男性)。そのAさんから先日、仕事中だった僕の携帯に数回の電話が。

丁度その時は電話に出られる状況ではなく、気が付いたのはお昼休みになってから。Aさんから電話がかかってきたことなんてなかったので、何事があったのかと不安になり、急いで電話を折り返しました。

するとAさんが電話口に。

「池袋…、一人で…」
「電車で…、行った…」
「目標…、だった…」

Aさんは脳梗塞の後遺症で重度の右半身不随と言語障害があります。そのため電話でタクシーすら呼ぶことができず、必要に応じて僕やヘルパーさんが協力しながら支援を行っていました。

そのAさんが自分から一番苦手としている電話を僕にくれた。3年以上のお付き合いで初めてのことです。それも、僕と一緒に考えAさん自ら決めた目標にチャレンジして、そしてそれが実現したという嬉しい内容です。

最初は僕も何が起きたのか訳が分からず、「池袋!?誰かと?一人で?ホント?電車!?大丈夫だったんですか?」と、混乱気味に何とか状況を把握しようと一生懸命Aさんの言葉を聞き取っていましたが、聞き取りにくい電話口のAさんの言葉から達成感と自信が伝わってきて、やっと状況が飲み込めました。

出会った頃は病院往復どころか院内まで車椅子を使って依存心の強かったAさん。主治医も「歩けない人」だと思い込んでいたくらいでした。僕が担当になったことをきっかけにジックリ話し合い、少しずつ自分でできることを見極め、今まで奪ってきた「自分で出来ること」を本人に返してゆきました。今では片道30分の道のりを一人で歩いて病院に通っています。最初の頃の姿からは考えられません。

今回の電話。Aさんは僕に知らせたかったんですって。自分がチャレンジしたこと、やり遂げたこと。電話口から伝わってくる高揚感と自信。今までこの仕事をしてきて一番嬉しい電話でした。

脳梗塞の後遺症に加え精神的な浮き沈みもある方なので、これからも慎重な対応が必要ですが、それでもその人の持てる力を信じたい。Aさんから話を聞いたヘルパーさんやデイサービスの事業所からも心配の声が届きましたが、リスクのない外出なんて僕らでもあり得ません。大事なのはその状況に応じて、どれだけの予測が立てられていて、どれだけの対策がされているかです。Aさんとは何度も「こういう時はどうする?」と話し合っています。

僕からの心配の問いかけ(予測)に解決策(対策)を出してくるのはいつもAさん。そして一歩を踏み出すのもAさん自信が決めること。もしかしたら何か事故が起きるかも知れない…と、不安が全くない訳ではありませんが、僕らはAさんの意思や人生を妨げることはできません。生活の範囲が広がるにつれ新たにリスクも生まれます。新たなリスクを投げかけ、Aさん自身がそれを解決してゆく。この繰り返しでこれからもお付き合いが続いてゆくのだろうな…と思います。

(以上)

「嬉しい電話」と題したこの記事は、Aさんの紹介だけです。でも、今回お伝えしたいのは、介護保険がAさんから出来ることを奪い続けていたという事実です。

この事業者は、ケアマネジャーとヘルパーの事業所を併設していました。前任のケアマネジャーが退職するのに伴い、僕がAさんを含む数人を引継ぐことになったのです。しかし、ヘルパー業務の位置づけに関しては、どうもサービス利用自体が目的のような印象のケアプランもありました。僕はまだまだ新米だったけど、Aさんが有する能力の見極めと課題分析がキチンと行われているのか非常に疑問を感じ、そこから僕の戦いが始まることになります。

事業者からすると、サービスを入れれば入れるだけ利益になりますからね。ケアマネジャーはそのための集客機能を果たしていたのでしょう。囲い込みの典型例です。明らかに不要なサービスまで提供していたものですから、その後の苦労は想像していただけることと思います。

介護保険事業に従事する僕らは、ただ単にサービスを提供するのではなく、「利用者が望む暮らし」を思い描き、あらゆる方法を活用してその姿を追求することが大切です。ケアマネジャーだけではなく、全てのサービスにおいてそれは同じですよね。しかし、公正・中立を求められる立場であるケアマネジャーが、事業者の利潤追求に巻き込まれると、このような視点を失い、本来のケアマネジメント機能を果たすことが困難になります。これは決してそのケアマネジャー個人の問題では片付けられません。ケアマネジャー自身に公正・中立が保障されていないことによって生じる制度上の問題だからです。

…今日参加させていただいたぱあとなあ埼玉の事例検討会で、介護保険サービスの囲い込みに絡んだ酷い話を聞いたものですから、何となくこんな記事になっちゃいました。市民側からこの仕組みのおかしさを指摘される前に、当事者である我々ケアマネジャー自身が、この問題の本質について声を挙げていかなければなりませんよね。

ちなみにAさん。どんどん行動範囲が広がり、最近は好きな家電屋によく出かけています。先日ついにパソコンを購入!早く使いこなせるようにと目下トレーニング中です。僕はAさんからメールが届く日を楽しみに待っています。

片道15キロの送迎。

2009.12.27 (Sun)


以前勤務していた医療機関での出来事です。

自らの自宅を改装して認知症の人を住まわせ、病棟ではなく普通の住居と変わらない環境の下で生活支援を行う。僕がグループホームを知ったのは、ある新書で紹介されていた老年精神医学専門医の取り組みでした。その後ひょんなことからご縁があって、その医師の下で働くようになるのですが、その時はまさに運命を感じたものです。

グループホームスタッフとして採用されたものの、結局は新設医療機関の相談室勤務を命じられることになるのですが、これはこれで非常に良い経験をさせて頂いたと思っています。今から10年程前の話になりますが、認知症を専門とする医師の診察に同席しながら、本人や家族の揺れ動く気持ちを目の当たりにしました。その時から始まる本人や家族への支援、ひとつずつ築き上げてきた関係機関との繋がりなど、その時の経験が今の僕の基礎になっていると言っても過言ではありません。当時の仲間とはたまに会う機会がありますが、今でも変わらない宝物です。

そしてもうひとつ勉強になったのは、強烈な囲い込みを経験したこと。

他は知りませんが、僕が勤めた医療機関は露骨でした。僕が当時師事していた医師は今でも尊敬していますが、一方で数字には滅茶苦茶厳しかった。常に「売上」を意識させられ、週に一度の診療日は、別の意味で胃が痛くなったものです。営業まわりが苦手なのは、この時のトラウマかな。

それから間もなく、介護保険制度がスタートします。医師の指示箋と月額500円の老人医療で使い放題使わせ放題だった老人デイケアが、介護保険上の通所リハビリテーションに切り替わったのですが、それはもう滅茶苦茶でしたね。ケアマネジメントも何もあったモンじゃない。軽度判定で回数が減る人は精神科デイに切り替える指示が来たり、いかに上限いっぱい通所リハのプランを組むか、利用者不在で考えられないことばかりやっていました。

極めつけはその法人が経営していた宅老所。僕が勤める医療機関から片道15kmの場所にあるその宅老所からは、十数人の入居者が大型バスで通所リハまで連れて来られます。ピンと来ないかも知れませんが、埼玉でも南部の方は都心へ向かう車で非常に混雑しますから、通所リハの送迎で15kmといったら相当の移動時間ですよ。

僕が本を読んで知ったグループホームの正体は、利用者を囲い込んで確実に利益を上げるための箱物でしかなかったのです。ケアマネジャーは利益を誘導するプランを作成するだけの存在。利用者にサービス事業者の選択権なんて全く無し。理想と現実のギャップに打ちひしがれていましたが、何だかんだ言っても僕だって組織の一員として片棒担いでいた訳ですから、その罪悪感から、長時間バスに乗って到着する入居者の顔は今でも絶対に忘れることはありません。

その医療機関が今はどうかは知りませんよ。でも、ケアマネジャーに求められる公正・中立なんて絵空事でしかない、ケアマネジャーが本当の仕事をしたければ独立してやるしかない。その頃の僕にはケアマネジャーの受験資格すら無かったけど、当時はそのように思ったものでした。その数年後に、ケアマネジャーとして独立することになるとは夢にも思いませんでしたけどね。そして独立して初めて、独立することが答えではないことも分かりました。

同じように苦しんでいるケアマネジャーは多いでしょう。しかし、辞めたからって何も問題は解決しません。国民的課題を先送りしているだけで、中心であるべき国民はいつまでもおいてけぼりです。公正・中立をケアマネジャーのモラルに求めても、それは良心と現実の狭間に立たされ辛い思いをしているケアマネジャーを余計に苦しめるだけにしかなりません。性善説に頼るのではなく、制度として、仕組みとして、キチっと公正・中立を保障する。ケアマネジャーという仕事の未来のためにも、そして何より介護保険制度を利用する国民のためにも、大前提として必要なことだと思います。

総責任者は私。

2009.09.09 (Wed)


介護保険事業に限りませんけど、当webサイトでは、当事務所の利用を検討している方の選択に資するよう、判断材料を提供することを重視して作成しました。利用者の選択は僕が一番こだわっているところですが、なんでそんなにこだわるのかなぁ…と、最近改めて今までの自分を思い返しています。

ということで、第三者機関主義について具体的に紹介する前に、今まで僕が体験してきたことを、何回かに分けて幾つか紹介してみたいと思います。

もう随分と前のことです。とある介護サービス事業者に、利用者からの要望を伝え改善を求めました。要望と言っても、支援内容ではない部分の改善を求める内容で、利用者が要望に至ったのもごもっともな背景があります。ある程度概要を伝え、後日事業者を訪問したのですが、担当者が不在。代わりに併設のケアマネジャーが対応してくれました。

話は聞いています…とのことで、「その件ですけどウチでは対応が難しいですよ」と一言。僕は「まずは話し合いたいので担当の方がいる時に出直しますけど、もし担当の方で話しが難しいようであれば上の方につないで貰えませんか」とお願いすると、「ここの総責任者は私ですから」とのこと。

まぁ知っている方なので、利用者の要望をもう一度伝え、それが実現するために必要なことや必要な時間を整理して、今後の流れを確認しました。幸い介護サービス事業者も思いのほか早い対応をしてくださり、利用者も満足にサービスを利用しています。

で、ふと思ったのが、「総責任者は私」という状況。例えば、そのケアマネジャーが担当している利用者のケアプランに、併設する介護サービスが組み入れられているとします。そのサービスに対する苦情や改善をそのケアマネジャーに訴えた時に、「総責任者は私」という状況で充分な対応ができるでしょうか。その方に物申しているのではないですよ。この状況を可としている仕組みが変だということです。

苦情相談窓口は重要事項説明書に書いてあるじゃん…とか言わないの~国保連や市役所などの第三者機関に苦情を申立てるなんて、そう簡単ではないですよ。利用者の多くはお世話になっているという意識を持っていますから、こちらが苦情を申立てるべきだと勧めても、心情的に二の足を踏んでしまうことが殆どです。利用者の本当の気持ちは、投書箱やアンケートに取り組んだとしても、現れてこないことの方がよっぽど多いと思います。

契約関係とは言いながらも、本当の意味で対等な関係なのかどうかは疑問です。だからこそ重要なのがケアマネジャーの役割であり、時には公正・中立の立場で利用者の代弁機能を果たすことが求められるのです。ケアマネジャーでもあり利用中の介護サービスの責任者でもある、このような状況で利用者がケアマネジャーに要望を伝えたとしても、ケアマネジャーが総責任者という立場で回答をしていれば、それは当事者同士ということになります。公正・中立の立場とは言えません。

そうなると利用者にとっては不幸なことです。だからこそシッカリと選択することが大切なのですが、今の仕組みのまま利用者側にそれを求めても無理があるんですよね。本当の意味で選択することができる仕組みをいかに築くか、これってとても大切なことではないかと思うのです。ケアマネジメント自体に第三者機関性が保障されていれば、そもそも今回のような場合でも何ら問題にはなりません。そのような仕組みが実現してこそ、同時に本当の選択ができるようになるのではないかと考えています。

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ひとこと

田原 亮

Author:田原 亮


ゆい生活法務事務所 公式ブログ
「チャリギョ!」へようこそ。
タイトルはただのパクリです(笑)。
楽しみながら更新したいと思います。

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